きっとまたあした。―6+7+8th Anniversary Live "Along the way"を終えて

1. はじめに

12/18㈰、Tokyo 7th シスターズ 6+7+8th Anniversary Live "Along the way"のDay3に参加したのでその感想を書こうと思う。ただ、書きながら考えているのでまとまりのない文章になっていると思うがご容赦ください。

ライブの楽しみ方としては、純粋に楽曲に乗ったり演者のパフォーマンスを楽しんだりというミクロな要素と、一つの作品としてライブ全体を味わうマクロな要素とに大別できると思っている。個人的な好みではあるが、ここでは前者のように各曲にコメントするというよりは、後者の楽しみ方としてライブ全体の構成や演出、メッセージについての感想を述べたい。ただし、Along the Wayは今回のライブのテーマソングに位置づけられているため、その限りではない。

前置きとして、私のナナシスへの熱はEPISODE 5.0やアニメ映画を境に下がる一方で、新曲や現在進行中の2053年のストーリーにおいて自分に刺さるものを感じれなくなっていった。またライブに関しても、これまでのように作品としてメッセージ性の強いライブというのはなくなっていて、今回のライブへの期待もあまりなかった。

ただ、もう以前ほどの熱量はないのに不満をたれている状況が自分でも好ましくないこともあり、コロナの影響でできていなかった、メインエピソード完結後のアニバーサリーライブを期にナナシスからは距離を取ろうと思いながら臨んだライブとなった。

2. どのようなライブだったか

では本題に入り、第一印象から言えば「増補改訂版 ナナスタライブ」という感じだった。

今回参加したライブのセットリストは以下の通り。

ライブの構成としては、2034年、2032年、2053年、2043年とメインエピソードの主役ユニットが登場し、再び2034年へ。KARAKURIは2039年にカウントアップする演出も見せつつ、ナナスタのユニット、4Uが登場。そして、2035年AXiSから夏影とストーリーを踏襲した流れを見せ、リボン・AtRで2036年の姿も披露し終了。アンコールでAtW、スタグリで締め。年代順がごちゃ混ぜになってしまうのは、ここまでいろんな世代が増えてしまうと仕方ないか。(以前のナナスタライブでサワラに謎の時空を超えるセリフを言わせたようなことはしなかったのでよかった。)

さて、今回のライブのテーマはタイトルやMC通り「ここに至るまで」「道半ば」の2つ。つまるところナナシスの「これまでとこれから」といったところだ。実際、3日間を通してほぼすべての楽曲を披露したようだし、また53年組の登場、WNo4の新曲など、未来への道も示したのかもしれない。

3. テーマ設定の問題

1. MCの比較

ただ、このテーマはNANASUTA L-I-V-E!! - in PIA ARENA MM(2021/07/03-04開催)と同じように見えてしまった。そのライブのセットリストは以下の通りで、定番曲から久しぶりの曲、他ユニットによるカバーなど、ストーリー内でのナナスタライブはこんな感じなのだろうと思わせるような内容だった。ただこのライブはアニバーサリーライブの延期中に行われたり、コロナによる時間制約があったりしたためか、EP4.0や6.0に直接関わる(2035-36年の)777☆S楽曲の披露は見送られた。SOLは例外だが、2034年のナナスタライブということだったのだろう。

最後には、777☆SがMELODY IN THE POCKETを歌う前のMCでこう述べられた。

思い返してみればさ、いろんなことがあったよね。ここまで長い道のりを、標識のない道のりをずっと歩いてきた。振り返れば思い出でいっぱいだけどまだまだ。俺たちの物語はここからまた新しく始まっていくんだ。だってスース達はまだ、もうこれでいいや、精一杯やったわって思えていないんだもの。楽しかったことは一つ残らず全部ポケットに詰め込んで。思い出したくない悔しさだって、一つ残らず全部ポケットに詰め込んで。私たちは未来(あした)へと羽ばたいていく。私たちナナスタシスターズはまだまだ止まったりなんてしませんからね。虹の向こうのさらにその先へ。私たちは前に進み続けます。これからも私たちをよろしくお願いします!

MITPの歌詞を踏襲しつつ、EP6.0の内容も想起させるような内容だった。またこの時点で総監督の茂木氏はもう去っており、彼のいないライブは初めてだったが、このMCを受けて「ナナシスはまだ進んでいく」というメッセージを受け取った。当時は、ナナスタシスターズの深掘りや34年時の楽曲制作がメインになるのかなどと想像していた。

そして先も述べたように、今回のライブのテーマはナナシスの「これまでとこれから」。ライブ前からテーマが被っているなと思っていた。もう少し今のナナシスが何をしたいのかが明確になればいいと思ったが、テーマソングがその思いを挫いた。そして、実際のセットリスト的にもナナスタライブの内容や曲数を変えた印象だった。それ故の増補改訂版ナナスタライブという感想だった。

この印象は一旦措いておくとして、今回の6th+7th+8thの最後に何を話したのかを見て、どのようなメッセージがあるのかを考えたい。

今日こうしてこの時間を過ごせたのは当たり前のことではなく一つの奇跡だと思います。その奇跡があるのは今これを見てくれているあなたがいるからです。あなたがいなければ、私たちはこの景色を見ることができませんでした。今回のライブタイトルには、「ここに至るまでに」という意味の他に「道中」という意味があるんです。私たちは青空(ここ)まで来ましたがまだまだ道半ば。 この先も歩み続けます。時間を重ねれば、小さな頃特別で宝物だった石がただの石ころになってしまうように、この夢のような時間もいつか忘れてしまう日が来るかもしれません。けれど、それでも今日のこの奇跡はたしかにありました。いつか忘れてしまっても、今日奏でた音、今日届けた歌、この時間があなたの中に残ることを願っています。またこの先の未来でお会いしましょう。その想いを込めて最後はみんなでこの曲を歌います。

テーマの割にはあまりその色が見えないというのが率直な感想だった。言及こそしているものの何をしたいのか、伝えたいのかはよくわからないというか。このMC自体まだあまり理解できていない。そもそも石の話が唐突なのだが、特に「いつか忘れてしまっても、(中略)あなたの中に残ることを願」うということの意味、そしてその後に続くStar☆Glitterとの関係の二点が引っかかる。


2. 「ポケットの中」へ

あなたの中というのは「ポケットの中」のことだろうか?武道館ライブ(Melody in the Pocket)のOPムービーでは、"We are 'here' Not for 'you' For 'something' In your 'Pocket'"というメッセージが流れた。「あなたのために来たのではない、あなたのポケットの中にある何かのために来たんだ」、これはエンタメだけど、それでも人の心に、ポケットの中にいる本当のあなたに触れるために、というメッセージを伝えている(『Tokyo 7th シスターズ(ナナシス)』茂木伸太郎総監督インタビュー【後編】より)。そしてこのライブのアンサーソングとしてのMELODY IN THE POCKETがある。また、QoP単独のパンフレット寄稿でも、「ハロー、聞こえていますか?」とあなたの中のあなたへと問いかける。

武道館ライブのOPムービーは次のように続く。"Here comes your turn. I did I wish. Take it and... Put your hands to your 'Pocket'. This is yours" このライブを受けてポケットの中のあなたはどう思うのか、何をしたいのか、それはあなただけのものだ、と。あなたの中に残るのも、忘れてしまうのも、背中を押されるのも、押されないのも、本当のあなたが決めること。ただ"I did I wish"とあるように、本当のあなたに届くように本当の自分でやりたいようにした、それを持っていって欲しいと。それでもその後どうするのかは受け取った側の決めることだという意味を込めて"Here comes your turn"と述べていた。

3. 6th+7th+8thのMCは何を意味したのか

ポケットの中の本当のあなたに届くように歌った武道館ライブ。しかし今回のライブでの「いつか忘れてしまっても」「あなたの中に残ることを願う」という言い回しが気になる。忘れても残るものとは何だろうか。ポケットに詰めて持っていって欲しいということだろうか。

ひとまずその疑問は措いておいて、「また未来で会おうという祈り、約束」がStar☆Glitterへと繋がる部分を見てみる。ここは「君に会いに行く」「僕らはこの場所でまた一つになれるんだ」という想いが込められているのだろう。しかし、この石の話はスタグリをやったDay 3でのみされたようだ。わざわざスタグリをやる日にだけしたこの話は曲とどう関係するのか。

大人になってしまい表面を取り繕って、社会の要請に従って生きてしまうことで小さな頃の宝物がもはやただの石ころになってしまっているかもしれない。でも、小さな頃宝物だったもの、「最初の想い」はたしかに存在したのだから、それをもう一度拾い直して、磨いて、燃やして、「決して溶けないもの」、「心の中の黄金」にしてほしい、と言いたいのだろうか。宝物、輝く星が足りなかったら、夜空を掬って届けよう、としているのだろうか。

これらを考慮し先の疑問(忘れても残るものとは何か)に立ち返ると、本当のあなたに触れたものは、いつか忘れてしまっても、それが存在した事実は消えず、何かのきっかけに思い出す、再び大事なものにできる、と考えることができそうだ。そしてそのきっかけはやはり本当の自分にもう一度出会う時となるだろう。最初の想いにもう一度出会い直し、そこでナナシスやスタグリに触れること、このライブを思い出すことが、まさに「未来での再会」となる。私同様にナナシスと距離を置こうとする人が少なくなかったが、もしかするとそういう人たちへ向けたお別れと再会の約束のメッセージだったのかもしれない。

最初の印象を振り返ってみて、ナナスタライブのテーマをこれまでのナナシスのライブと繋がりを持たせるよう改訂したという意味でも、「増補改訂版ナナスタライブ」と言うのもあながち間違いでもないか。

※なおDay 1-2のMCでは「時間を重ねれば(中略)あなたの中に残ることを願っています。」の部分がそのまま抜いた形で話され、再会の願いや約束がテーマソングのAlong the Wayへと繋がっていた。これはこれでまた理解しがたい別の問題が生じるが収集がつきそうにないのでこれはパス。Along the Wayの意味や歌詞からそのような連関は見えないからだ。むしろAlong the Wayは「隣に僕がいる」し、過去の振り返りと未来への展望の中にどのようして再会の祈りが生まれるのだろうか。

4. 別れと再会の約束

このメッセージを受けて想起されたのは3rdのEDムービーでの手紙、そして5thでの最後のMCだった。二つの内容を見てみよう。

最初はとても小さな願いでした。(中略)今は少しだけ違います。花のようになりたいです。ただそこに在るだけでそっと誰かの、あなたの背中を押せるような。明日には散ってしまうかもしれないけれど。今日はこれでお別れかもしれないけれど。明日もあなたのまぶたの裏に私たちはいます。あなたがいまここにいてくれたように。あなたがここにいたことを忘れないように。だからまたあした。きっとまたあした。(Tokyo 7th シスターズ 3rd Anniversary Live 17’→XX -CHAIN THE BLOSSOM- in Makuhari Messeより

「私たちはきっといつかまた会える」 その想いを、願いを、約束を、感情を愛と呼ばず、なんと呼ぶのだろう。(中略)また来年、必ず会いに来てくださいね!いいですか?約束ですよ!(Tokyo 7th シスターズ 5th Anniversary Live -SEASON OF LOVE- in Makuhari Messeより

 「またあした」と想(い合)うこと、それこそがあなたと私がそこにいた証であり、そしてそれこそが愛であると伝えた5thライブ。3rdライブから地続きのこの想いをただ心から抱き続け、それが愛だと。これは今確認した今回のライブのメッセージにも繋がっている。この台詞の後3rdはスタグリ、5thはSTAY☆GOLDを歌う。やはりそこには「最初の想い」があって、「しぼんでた想い」でも「最初からきっとそこにはあって」、ナナシスを媒介して私たちはまたいつの日か、愛の季節に再会することができるのだろう。

4. 現在のナナシスのテーマ

じっくり考えた結果、これまでのアニバーサリーライブと地続きでポジティブな内容として捉えることができた。その一方で、前のナナスタライブ、そして今回のライブのどちらのテーマも手放しに受け止めることもできない。特に「これから」の部分に対して目を向ける必要がある。これからも進み続ける、まだまだ道半ばということは、まだ終わらないということ。当然の言い換えだが重要なことである。もはやこれは終わりの先延ばしと変わらないのではないのか。言ってしまえばEPISODEシリーズは完結と言い切ってしまったわけだ。かと言って、バトンを2053年組にしっかりと渡したわけでもない。また、大型アップデートによって2053年がメインになってからつけられたサブタイトルは"The Sky's the Limit"、「限界はない」の意。

このような構造を見ると安易だが資本主義の公理と重ねてしまう。資本主義というのもやはり到達点などなく、拡大生産を続け生まれる余剰価値を消費・搾取し、ここに際限はない。というよりも常に限界を引き伸ばす。この余剰価値も物理的な生産に限らず、記号消費における価値も含まれる。余剰価値とは端的に言えば新しい価値としての差異で、ドゥルーズ的に言えば脱コード化されたものである。常に何か新しいものを生産し、一様に前進することしかでしか安定的な状態を維持できない。

限界はないというフレーズを掲げてまだ進む、終わらないということ、到達点がないこと、そしてすでに出来上がったコード(ナナシスの世界)を脱コード化(新しい価値を生産)し続けること。生物の種は絶えず進化していなければ絶滅すると考える赤の女王仮説があるが、資本主義社会においても同様に止まってしまうとそこにはもう終焉しかない(例えば会社は新しいことをし続けないと倒産してしまうことを想像すれば良い)。つまり、ナナシスを終わらせないために、到達点はないが余剰価値を生産し、欲望・欠乏を常に維持する。「何がしたい」ではなく「終わらせ”ない”」ことの目的化。肯定でなく、否定が先行し、無の代理として機能する欠如というある種のニヒリズム。

さらに、今回のライブのテーマソングであるAlong the Wayにおいても、ニヒリズムは見て取れる。新曲発表時に書いた記事では、「君は何がしたい?」という問いの喪失、その問いの受け手における<私>(問いの中での”君”)の主体性の欠如という二点からこの曲を批判した。前者の問いの喪失は「終わらせない」ことの目的化へと変化していることは先に見た通りだ。後者も同様に資本主義の構造から見て取ることができる。資本主義は余剰を生み、同時に欠乏も維持する、つまり欲望し続ける。支配と被支配、与える者と与えられる者のヒエラルキーが存在する。受け手の<私>はその下層に位置する者であり、ここでは能動性は取り上げられ、与えられることを望み続ける、奴隷道徳として受動性を善とするニヒリズムが存在する。

これまでのナナシスの<私>も被支配の状態にあるのではないかとの指摘がありそうだ。だが、そもそも「君は何がしたい?」という問いこそが、<私>がそうしたヒエラルキーから逃走線を引くことを手助けするものであったのだ。自己や生の肯定、能動的・主体的選択による他者との競争や支配関係からの逃走。そこが標識のない道、胸の中の地図、新世界、だったのだろう。

5. 終わりに

アニバーサリーライブでは「再会の約束」を示した。そのことが自分の中で腑に落ちて確認できたことがとても嬉しかった。上述のライブは私にとってとても大事なライブで、大好きなライブだったからだ。

ただそれでも、今やナナシスはナナシスというサービスを続けなければいけないわけでもないのだ。それはまさに「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」という言葉とパラレルにある。なぜなら、ナナシスがサービスを終了したとしても、ナナシスもそれを愛した私も、共有した時間も場所も音楽も、確かにそこにあったのだから。その事実と最初の想いがあれば私たちはまた未来(あした)で出会うことができる。アイドルをやるためにアイドルをしないというように、サービスを継続するためにサービスをすることがないようになっていってほしい。

これまで私を支えてくれてどうもありがとうございました。

そしてまたお会いしましょう。

最後にもう一度3rdライブのMCを引用して結びとする。

今日はこれでお別れかもしれないけれど。明日もあなたのまぶたの裏に私たちはいます。あなたがいまここにいてくれたように。あなたがここにいたことを忘れないように。だからまたあした。きっとまたあした。

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